【太田コラム】番外編

  • 2009/04/17(金) 21:49:02

こんばんは

船生先生
(大楠ジュニアレスリングクラブ)の『THE・オレのページ!』
http://angel.ap.teacup.com/aiko16/

に対抗した、お茶目な私の一面をご覧下さい
ちなみに、船生先生から私はサカナくんと呼ばれているのでR

THE・オレのページ!に対抗して、モンゴル紀行

今から、約20年前、オレ様は、初の日本代表(といっても二十歳未満だが)として、世界ジュニア選手権にモンゴルに渡ったのだ
その当時モンゴルに行くには、今みたいに成田から直行便はなく、中国北京経由の汽車か、新潟からでソ連経由の手段しかなかったのだ今の時代が羨ましいぜぇ
その二つの行き方のうちの一つ東京駅→新潟空港→イルクーツク→ヤクーツク→モンゴル・ウランバートルと丸2日かけて行ったのでR
初の国際大会の参加や減量など慣れない移動で、さすがのオレ様もかなり、疲れた記憶が残っているぜぇベイベー
しかも、ヤクーツクから、ウランバートル空港に向け高度を下げ着陸体制になるのに、全く滑走路らしきコンクリートが見えず見えるのは、小高い砂山みたいなものばかりで、『このまま墜落かオレ様の命もここまでか』一瞬人生が走馬灯のように駆け巡ったぜ
子供の頃、遊泳禁止場所で泳いで約1時間漂流した事、おばあちゃんが仏様にお供えする水に水滴が着いたら、よい事があると言っていたから、次の日コップに三ツ矢サイダー入れて、おばあちゃんを騙した事、『塾に行きまーす』といって、魚釣りに行った事が、ばれて、二番目の兄貴にシバかれた事、一瞬にして駆け巡ったぜべいべー
そんな思いとはよそに、砂漠の上に墜落かと思いきや、しばらく固められた土の上を
滑走そして、のスピードもおち、やがてコンクリートの上を走り出し、何とかウランバートル空港に着いたのでR。

そんな諸々諸岡がありながら、ようやくホテルに到着
しかし、VIP待遇を受けるハズのオレ様達御一行をこともあろうか、受付で、延々待たされた為、その時の団長が机を叩き『いつまで待たしてんねんゴルァ』と一葛を入れたしかし、流暢な日本語だったので正に右から左に受け流された(少し古いか)のだ
受付を済ませ、IDカードを作製し、部屋に入ったのは、ホテルに着いてから、約2時間が経過していたのだ
若かれし頃だったし、その海外遠征は3回目だったので、疲労困憊で部屋に入ったのを今でも覚えているのでR
しかしここからが日本レスリング界強さの真骨頂何と部屋に入る前、F監督(現N大学のレスリング部長)が、『30分後ロビーにランニングするから、集合するように』と現地時間夜8時であった。『』←皆こんな顔していたぜぇベイベー
そして、練習開始ホテルの周りを1時間程ランニングやダッシュ、フットワークや補強等をこなし練習終了全くへこたれたぜぇベイベー

とある競技選手の話しを聞いた事あるが、『エコノミー症候群になった』とか、『やれ食事が悪いだ』等々、言い訳ばかりで、オレ様が言いたいのは、『そんな事言ってるから、世界で勝てないんぢゃ』と言いたいのでR。レスリングの世界では、こんな話しはアタリ前田のクラッカーなのだ(古ッ)
そして、へとへとになりながら、部屋に入り、風呂を掃除していると、オレ様の真後ろでいきなり、『ブリッ、ブッブッーブッー』と屁をするオチャメな輩がいて(名誉の為名前は伏せますが、ヒントをあげよう野獣プロレスラーで現在活躍中) オレ様は、なんてかわいい輩なんだと思いましたそして、オレ様は、後ろを振り返ると、そこには、野獣が様式便器に座って、なんと『〇〇〇』をしていたのでR食事中読まれている方ごめりんこその時は、私は、思いました
『どんだけ器が大きく、どんだけオチャメな輩なんだ』と、ちなみに、『〇〇〇』も大きかったのは、言うまでもなかろうこの物語は100%実話でR
そんなこんなで、ヘロヘロになりながら、部屋つき、揚げ句、かわいいお茶目な輩に、オ〇ラをかがされただけでなく本物を拝ましてもらうなど初体験ばかりの道中であったのでR

そして、計量を何とかパスし(その当時計量は、前日の夕方6時からで、二日間試合がある場合は、初日の試合に勝ち残った場合、自分の階級の全試合終了後、90分以内に元の体重をパスしないといけないルールで、初日が終わっても、腹いっぱい食べれず、個人差もありますが、だいたい初日最終試合前の体重は、多くても1キロ前後に抑えるのが、通常でした。夏の暑い季節とか、サウナが体育館内にある場合等、その時々により異なりますが)

そして、いよいよ初の国際大会
試合開始めちゃくちゃキンチョールしたぜぇ第1試合は、ドイツに何とか判定で勝利第2試合は、イタリアで前半飛ばし過ぎたせいか、後半バテて逆転負けをくらい、監督にを落とされ、不甲斐ない試合でしたしかし、バットマーク方式という、トーナメント方式で2回負けるまで戦えるといったルールにより、次の試合(ハンガリー)とその次(モンゴル)にも何とか、勝ち、後一つ勝てば、決勝戦進出でしたが、結局優勝したソ連の選手に判定で敗戦結果5・6位決定戦に回り、何とか、ポーランドに勝利して、初国際大会は、5位入賞に終わったのでR

オレ様が出た世界ジュニア大会が幕を閉じたわけだが、その大会は、毎年今でも開催されており、その大会の予選が先週末横浜で開催された野田
結果は、メーリングリストで流した通りで、過去にない程のほろ酔い成績だったぜぇ
しかも、皆様も知っての通り、早稲田大学レスリング部員は少なく(全部で4学年あわせて22名・母校は80人)今回出場したのは、10名で、そのうち5人が優勝2人が準優勝しかし、3人が二回戦敗退という事実も見逃せない野田しかも、特に二回戦敗退した選手には、勝ってほしい選手だったから…。差別とかではなく優勝した四人は、高校時代からのチャンピオンだから、優勝して当然な野田しかし、優勝した五人のうち一人は、高校時代たいした実績がなかったから、本当によく頑張っての優勝なのでR。

以下こういう図式な野田
高校時代優勝経験者→勝って当然。高校時代優勝経験ない者→大学入学後成長し結果を残した事により→高校指導者が、三番手ぐらいの選手を送ってくれるようになり→早稲田の部員が増員し→更にチームが強化されるという→床屋の前にある赤と青のぐるぐる回る看板(名前知りません)状態になる野田
だから、余計に二回戦敗退した者には、今後奮起し、結果を残して欲しい野田もちろん優勝した選手は、日の丸背負って、世界大会に出るのだから、必ずメダルを獲得せザール

20年前の話しを戻す野田
試合が終わって、次の日は、観光バスに乗って、ドイツチームと一緒にモンゴル巡りをしたのでR寺院や遊牧民族の住まい(グル)や東京ドームぐらいある一枚岩などを見て、1日観光し、さぁーレストランで気合い入れて、モンゴル料理満喫するぞっと思っていた帰りのバスの道中
なんと道路を走っていると、なんとラクダを連れたおじいちゃんが散歩してるではないか
これには、一同になり、バスを停めて、記念撮影ラクダちゃんもおじいちゃんも快く記念撮影に応じてくれた野田ラクダちゃんとのコラボ写真撮影は、数人ずつ順番に撮っていたので、その当時のオレ様は超引っ込み思案(誰がやねんとナニワスペシャル様からツッコミ入れられそうだが)だったのでオレ様は、1番最後だった野田
ようやくラクダの真横に立ち、これが、生ラクダかと見上げていると、ラクダが何故か私と目が合いなんと見つめ合いが数秒続いた野田

しかし次の瞬間事件は起きた

あれだけ機嫌良く撮影に応じてくれていたラクダちゃんが、いきなり天に向かって口から、物凄い大量の『GERO』を吐き捨てたのだ
真横にいたオレ様は、直ちに避難したが、時既に遅し頭から、ラクダの異物を天然のシャワーのように浴びてしまったのだ
ニュートンのバカヤロー地球の引力のバカヤローと言いたかっぜ

そんな呑気な事を言ってる場合ぢゃなく、とにかく、臭いのなんのって、今までに嗅いだ事のある匂いの10倍ぐらい強烈というとどれだけ臭かったわかるであろう
その匂いを嗅いだ為、子供の頃、一家で花火大会を見に行った事、新築になった家で、おばあちゃんが、ウォシュレットの使い方がわからなくて、廊下に噴水のように、あふれ出て大笑いした事、おばあちゃんが仏様を拝んていると、たまに火が揺れると悪い事あるから、気をつけなさいといつも、おばあちゃんに言われていたので、明朝、おばあちゃんが仏様を拝んでいたので、そっーと背後に近寄り(おばあちゃんはかなり、耳が遠いので、ばれませんでした)炎に向かってフゥーと息を吹き掛けて、火が揺れ、その後、皆で朝ご飯を食べている時に、おばあちゃんが今日はかなり、仏様の火が揺れたから、気をつけなさいと言ってきたので、タクヤが後ろから息を吹き掛けたんやというと、おばあちゃんは『まぁーいじわるやよ』といって、次の瞬間歌を唄い出し意地の悪者このちょいおくな送りださんせ神のちょえ(未だに意味不明とかなり、重低音で歌い出した事等忘れるぐらい、ラクダの異物は草苅正夫だった

話が長っと思っている人が大半であろうが、後少しお付き合い願いたい。
余りにも臭いので、タオルとかなかった為、中に着ていたTシャツで頭拭いて応急処置をし、バスに戻ると一同大爆笑し、ドイツチームには、『ジャパニーズコメディアン』とまで、言われた野田そんな、モンゴル紀行であったが、最後の最後にまたもや事件は、起きたしまった(どんだけネタあるねん)

そんなこんなで最終日の朝、荷物をまとめ、ホテルを出発
予定通り空港に着いたら、なんとヤクーツクに向けたが飛んでしまっていたのだ
次のヤクーツク行きのは一週間後と伝えられ、一同
そして、空港会社と話し合い、何とかを準備してもらったものの、なんとプロペラ貨物で、電車のように、向かい合って、座り、通路には、大量のスーツケースが並べられ、『わしらは、自衛隊か』見たいな感じであった
そして、何とか無事着陸
後は、問題なく、日本に帰国したのを今でも、鮮明に覚えている野田

この遠征で培ったものは、以下の通りでR
?海外では、アクシデントは付き物なので、いろいろなアクシデントあっても、物応じしない精神力
?この当時の世界ジュニア大会の上位選手の大半は、オリンピックでメダルを獲得している者が多いこの大会で活躍する選手は将来オリンピック代表やメダリストになる確率が高い為、今年参加する早稲田の5名は上位入賞を目指し、将来の五輪代表及びメダリストを目指せ
?道端歩いているラクダに注意すべし(通訳に聞いた話しだと、ラクダは、怒るとGEROを吐き出すらしい)
?何事も日本の物差しで考えルナシー
若干20歳にして、以上大まかに4つの大きな事を学んだ遠征であったのでR



すいません賞もない話で
次回は、お家でやれる、レスリングエクササイズをお送りします。
追伸
ナニワスペシャル様、Sんいちママ、様関西人としての辛口コメントよろしくお願いします。

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