【太田コラム】大学対抗戦優勝!!

  • 2008/09/20(土) 19:27:15

みなさんこんにちは。太田です。

一昨日は、たくさんのお祝いメールをいただきましてありがとうございました。
コーチに就任して8年になりますが、学生の試合に勝ってこんなに嬉しいと思ったのは初めてです。レスリングの世界に入り今年で四半世紀になりますが、高校・大学のレスリング部は、優勝して当たり前の世界にいましたし、また、高校レスリング部コーチの時も優勝は、当たり前のことで、2位は負けという世界でしたので、そういった意味を含めて今回の優勝は、これまでに経験したことのない喜びを感じています。また、早稲田大学レスリング部のOBや他大学の指導者や大学の同級生、先輩、後輩そして、何よりもワクワクの保護者の方々やスタッフからの「おめでとう」というメールや電話をいただき、本当に嬉しい気持ちになりました。ここ最近、人から「おめでとう、良かったな」なんていう言葉をもらっていなかったですし、そういった言葉を他人から、もらったのは、おそらく自分の結婚式か子供が産まれた時ぐらいです本当にありがとうございました。

そして、大会を振り返りたいと思います。
大会名は、全日本フリー王座決定戦という大会で、今年で44回を数えます。この大会は、文字通り、学生の日本一を決める団体戦であります。試合は、55KG級・60KG級・66KG級・74KG級・84KG級・96KG級・120KG級の7階級で戦い、4勝をあげたほうがチームの勝利となります。

試合の前日に計量があり、そこで、組み合わせ抽選が行われました。日体と早稲田は、昨年の1位と2位でしたので、シードのため抽選はなく、残りの13校が抽選を引きました。今回の大会での優勝候補チームはというと、日体、早稲田の他に、春のリーグ戦優勝の山梨学院大、リーグ戦3位の拓殖大学でした。この3チームとは、決勝か準決勝あたりで対戦したいなと思っていたら、なんと1回戦が山梨VS拓大となり、その勝ったチームが日体と対戦するという組み合わせとなり、早稲田は、非常に組み合わせに恵まれ、1回戦国士舘、2回戦日大、準決勝専修大学、そして、決勝(予想通り日体でした)という組み合わせでした。
試合前は、とにかく自分の力を信じてあきらめずに、最後まで戦えと声をかけました。1回戦は、66kG級だけ取りこぼしてしまいましたが、その他は、危なげなく勝ち6−1で勝利しました。続く2回戦も、120KG級だけ敗れましたが、6−1で勝利し、準決勝へ。対戦校は予想通り専修大学です。55KG・60KG・66KGと3勝し危なげなく勝てるなと感じていたのが、災いし、74KG・84KGが敗れ、対戦スコアを2−3とされましたが、96KG級の今大会のMVPの浅見が、無難に試合を運び何とか4勝をあげ、決勝に駒を進めました。

決勝の相手は、予想通り、母校日体大です。ここ数年苦杯を喫しているチームで、春のリーグ戦でも決勝で対戦して、唯一負けたチームであり、昨年の王座でも敗れていて、また、8月末に開催された学生選手権では14階級中8階級のチャンピオンを輩出するなど、今一番勢いのある強豪チームです。それだけに勝てばその勢いも止められますし、そして、何よりもここ数年あと一歩のところで毎回優勝を逃していたので、何とかその強い日体を破り初優勝したいという強い気持ちになり、監督、コーチ、選手が一丸となり初優勝を目指しました。

そして、決勝戦。
早稲田の選手は、55KG級の藤元です。相手は、学生3位の選手です。試合が始まり、一進一退の攻防が続くも、あと一歩で負けてしまいました。続いて、60KG級では主将の安澤。相手は学生3位の選手です。ここは、手堅く勝ち1−1のスコアにしたかったのですが、逆転負けを喫し、チームスコア0−2となり、後がない状況になりました。次に66KG級では1年生ながら、レギュラーで勝負強い石田です。ここで、何とか勝利をもぎ取って、流れを変えたいところでした。相手は学生2位の選手です。試合は運もあり何とかチーム初勝利をあげました。対戦スコアを1−2として、74KG級の大月が、その流れを持続させ、また、力の差を見せ付けて、相手を圧倒し勝利。2−2のチームスコアを同点としました。次の階級は84KG級です。選手は74KG級のジュニア王者の武冨です(大学の対抗戦は、階級を2階級上まで出場させることができます)。しかし、相手は学生王者であったため、圧倒されてしまい、敗れてチームスコアを2−3とされ、リーチをかけられました。そして、96KG級です。相手は学生2位で、こちらは、ルーキーの84KG級の山口です。試合が始まり早々に片足タックルを決めるも得点できず、私は正直「苦戦するな」と思いましたが、次の瞬間得意の投げ技が決まり見事フォールしました一気に流れを変えた内容で、チームスコアを3−3のイーブンにしました。このあとの試合展開の事をレスリング界では、「アップ勝負(昔は130KG以上級という階級のためアップと呼ばれていました)」と言います。正にアップ勝負の激戦です。勝利した方が優勝という展開です。そして、迎えた決勝戦。日体の選手は96KG級学生王者です。対する早稲田は84KG級の浅見です。試合が始まり早々にタックルを決められ0−1とされ、再々アタックするも交わされましたが、残り数秒でタックルに入られてしまいしたが、そこで乾坤一擲の返し技(レッグホールド:相手の股の間に手を入れて返す技)が炸裂2−1とし逆転、その後バックを取られるも2−2(大きい技でポイントを獲得しているため)の内容勝ちそして、運命の2ラウンド目、開始早々がぶり(首を抱えてバックに回る技)で1ポイントあげ、1−0とリードしましたが、すぐにバックを取られ1−1とされるも、すぐさま2−1と逆転そして、残り38秒相手にも焦りと攻め疲れが見え始め、更に1ポイントを追加3−1とし残り10秒、運命のカウントダウンが始まりました

10・9・8・7・6・5・4・3・2・1・0
初優勝


マットにはチームメート全員がなだれ込み、浅見選手と抱き合い、勝利を分かち合いましたそして、整列。お互いが健闘を讃えて、握手を交わして、レフリーが、『4対3で早稲田の勝ちとします』と勝ち名乗りをあげましたそして、胴上げが始まりました。先ず始めに、監督を三回、学生達の手によって胴上げされました。そして、私です約10年振りに胴上げされ、余韻に浸りながら、胴上げされていましたが、そんな気持ちを知ってか知らずか、三回目に見事にそのままマットに落とされてしまいました正直落とされるとは、思っていましたが、タイミングが悪く背中と頭を強打かなり痛かったですが、痛いそぶりをすると格好悪いので、しれーっとしていました

ここ数年は、後一歩で優勝出来ずに悔しい思いをしていました。最近では、8月末に開催された学生選手権で、優勝者なく惨敗したり、北京五輪には代表を送れずといった悔しい思いをしてばかりで、いつになればこんな思いから脱皮できるのかと、いつも感じながらの毎日でした。そんな思いが詰まった優勝なので、感慨無量です。優勝まで、八年の歳月を要しましたが、これからは、更にレベルアップを図り、『常勝早稲田』を築いて行きたいと思います

以上長々失礼しました

追伸
試合ですが、日本レスリング協会ホームページ上で決勝戦の全試合と胴上げシーンが動画が配信されていますので、是非見て下さい
http://jwf2007.kir.jp/VTR/09ouza/top.html

記事はこちら
?早大が日体大に逆転勝ちし初優勝…全日本学生王座決定戦【2008年9月18日】

?【特集】太田拓弥体制で初の戴冠! 早大が日体大を破って団体戦で初優勝!
【2008年9月19日】

?【特集】日体大出げいこでメンタル強化! 早大レスリング部復活の理由−
【2008年9月20日】

【太田コラム】高山オリンピック?

  • 2008/09/17(水) 22:46:40

今回は大会らしくするために、試合前後に、開会式と閉会式並びに表彰式をすることになりました。

開会式では、洞口先生(私の大学の先輩で、息子2人は早稲田の教え子です。)の挨拶をいただき、そして、選手を代表して増山さんが選手宣誓を高らかに宣言し、大会が開幕しました。

そして、全試合終了後閉会式並びに表彰式をしました。今回はうちの学生スタッフが、手作りで表彰状と金メダルを作製してくれました(もちろん全員分)表彰状にはみんなの名前はもちろんですが、表彰状の文面には「みんなの活躍に指導者や保護者の方々に感動と勇気を与えましたので、ここに表彰いたします」と綴り、それを一人づつ渡し、首には金メダルをかけました。そして、今回は副賞として大和証券様からの協賛品として、虎屋の羊羹が渡されました。これには、保護者の方々もびっくりしていました(これはうちの学生スタッフのももこさんが、大和証券様に連絡していただきました)。
そして、私と浅井先生が講評として大会を振り返り、皆の健闘を讃えました最後に皆でメダルを首にかけ、表彰状を持ち、そして、虎屋の羊羹を持って記念撮影その顔は、皆笑顔で、とても清々しく、また、自信に満ちあふれた顔をしていて、誇らしげでした

立ち上げから三年ですが、三年前は私は正直ここまで出来るとは思っていませんでした本当に子供達の可能性というものを感じた大会でしたまた、諦めずに保護者の方々が各々の練習場所に連れて来て下さった賜物だと思います今後とも引き続きよろしくお願いします。

追伸
先週もメーリングリストで流しましたが、11月22日(土)14時〜横須賀市の大楠高校で開催が決定しました。blogでも参加を募り、日本ダウン症協会と神奈川県の親の会など、いろいろ方法で呼びかけたいと思いますので、保護者の方々も横浜・横須賀方面に知り合いがいましたら、参加の呼びかけお願いします。

【太田コラム】高山オリンピック?

  • 2008/09/16(火) 21:09:02

今回は、全部で(エキシビションを含め)21試合京都八幡チームと戦いました!
どの試合も見応えある試合内容で、みんな立派に戦いました。どの試合が1番なんて、順位はつけれませんが、幾つかの試合の感想を投稿したいと思います。

やはり、早稲田に初めて一勝をもたらした、直大の試合でしょう!交流戦が始まり、4連敗のスタートとなり、ずるずるいってしまい、京都チームに1勝も上げられないまま終わってしまうのか、それとも誰かがその流れをくい止めてくれるのか、と不安のスタートとなりましたが、第5試合目に直大が登場!そんな気持ちを汲んだのか、積極的に攻めて、僅差で勝利しました!勝った瞬間、私は、直大が立ち上げ当初のいつも泣いている姿を思い浮かび、今ガッツポーズをとっている姿と立ち上げ当初の泣いている姿がだぶり、そのギャップというか、成長していることに本当に感動しました。わずか3年で、しかも月2回の練習にもかかわらず、子供達の成長には驚かされます。

次にうちのエース健太でしょう!試合開始前から気合が漲り、試合でも積極的にタックルを仕掛け、勝負強く2試合に勝利し、昨年から続いている連勝を6と延ばしました!健太は、朝の朝礼でも大勢いる中で挨拶をしたり、何でも積極的に取り組み、また、ピンポイントに優しいところや面白いところなど、本当にうちのチームにとって欠かせない存在です!

そして、この大会の一番盛り上がった試合ですが、なんと言っても、淳の試合でしょう!1試合目は、スイッチが入らず敗れてしまい、2試合目も去年と同じ展開になってしまうのかと思ってしまいました。しかし、2試合目は、スイッチが入り、積極的に攻め、タックルや返し技などがきまり、あと数秒で勝利となり、思わず私は「このまま時間が過ぎてくれ!」と祈ってしまいましたが、そんな気持ちを知ってか、知らずか、わずか数秒で同点に追いつかれて、延長戦へ(延長は点数を先に取ったほうの勝ち)延長に入る瞬間、淳は「まいりました」と囁きました。その言葉を聞いて「負けてしまう」と思ってしまいました。しかし、今回はいつもの淳ではありませんでした。相手の攻撃を交わして回り込み1ポイントを正にもぎ取って、淳の初勝利となりました。淳には、練習でも毎回タックル来たら、交わしてバックやといってきたので、それが、最後の最後で出たときには、指導者冥利につきました。次回の試合では、タックルを決めて勝利させたいと思います。

次に、将大の試合ですが、1試合目は、体格差もあり、敗れてしまいました。その瞬間、超が付くほどの負けず嫌いなため、号泣してしまいました。しかし、お母さんの説得により、何とか、泣き止み、次の試合では、見事初勝利を成し遂げました!試合の合間に、気持ちを落ち着かせてくれたお母さんに感謝していますし、何よりも本人が少しづづ、時間を短縮して気持ちをコントロールできるようになってきたのが、今回の勝利に繋がったと思います。

そして、ハーフレスラー歩帆選手の試合です。相手は最大のライバル奈桜ちゃんです!相手は?連勝して今一番京都チームで波に乗っている選手です!試合では、一進一退の攻防が続き、延長戦へ!延長戦でも白熱した戦いを繰り広げ、ラストは歩帆が奈桜ちゃんの攻撃を交わして、押さえ込み、勝利しました!最近の歩帆は、何でも積極的に取り組み、「お父さん(アルバニア出身)の血よりもお母さん(大阪出身)の血が濃いなー」と思う今日この頃です。また、広太郎の?連勝や侑亮の大きな選手に対しての勝利といった試合など多くの感動がありました。負けてしまった、一吹や翔、勇樹、詩歩もよくマットに上がって戦いました。ただ、一吹や詩歩の相手はかなり体格差があって申し訳ありませんでした。浅井先生ともいろいろ相談して、試合を組んだのですが、多少無理があった試合や1試合しかできなかった子供もいましたので、今後の反省として次に活かしたいと思います。

今後さらに発展していくために、試行錯誤しながら、また、保護者のご意見をいただき、更なる発展を目指したいと思います。本当にありがとうございました。

【太田コラム】高山オリンピック?

  • 2008/09/10(水) 08:09:06

皆さんおはようございます太田です。
先日の高山オリンピックでは、お疲れ様でした。その後体調等崩されてないですか?
長旅にもかかわらず、車酔いする子供や、試合で怪我などもなく、子供達の可能性と体力には、驚かされ、あの興奮の余韻に浸っている今日この頃です
今日の投稿は、高山までのバスの中での話し等を高山オリンピック?と題して書きたいと思います

9月6日(土曜)朝7時に小雨降る中、高田馬場駅早稲田口付近に集合。
貸し切りバスにて、高山に向けて出発しました早々にアクシデントが、発生なんと学生スタッフのももこコーチが、まだ7時の時点で自宅で寝ていましたももこコーチが、自宅〜高田馬場駅来るまでに約一時間近くかかるため、やむを得ず出発何とかももこコーチを拾いたく、いろいろな方法を考えた所、最善策として、自宅(調布)〜、中央道の石川パーキングまで、タクシーで来なさいと言いましたその後、中村さんが、自家用車で来る予定になっていたので、ひょっとしたら、自宅が近いかもしれないと、山本先生が気付き、中村さんに連絡した所、かなり近所(自宅同士の距離が500Mぐらいだそうです)だったので、それをももこコーチに伝え、連絡を取り合って無事中村さんと合流そして、石川パーキングで無事バスに乗る事が出来ました中村さんありがとうございますももこコーチ、昨年私も帰りのバスの中では、いろいろな諸事情で再三謝罪しましたので、余り気にせずにそれに出発前日は、いろいろと会を盛り上げる為の作業で、遅くまで、取り掛かっていたので、しょうがないです。皆さん許してやって下さい

そんな出発間際のバタバタもあり、また、中央道が、八王子ぐらいで、事故があり、大渋滞が発生結局八王子を抜けるのに、4時間近くかかってしまいました…。その間バスの中では、私が持参した、湯元選手の北京五輪の試合と私の出場したアトランタ五輪の試合を鑑賞しましたそして、談合坂サービスエリアについたのが、昼前だったので、昼食を買って車内で、食べた後第一回カラオケ大会が、始まりました一曲目は、山本先生の18番の歌(?)から始まって、その後子供達が、何曲か歌いましたが、その中で、一番印象に残ったのが、増山さんの歌(確か徳永秀明の壊れかけのラジオだったと思いますが)あの高い声と上手さには、びっくりしました=3また、帰り道、増山さんのお父さんも歌いましたが、親子で、とてもうまかったのが、印象的でした

そして、ようやく高山に到着なんと9時間もかかって着いたのは、4時を過ぎていました
当初の予定では、2時前には、着いて、1時間ぐらい練習して、その後BBQをする予定でしたが、着いて、すぐに部屋割り、そして、懇親を深める為に、京都チームとのBBQ大会を開催しました今回は、洞口先生の配慮もあって、飛騨牛の焼肉を用意してもらいました。そして、会を盛り上げる為にうちのスタッフが、ビンゴゲームを始めました。景品は保護者からの寄せ集めた物や、私が北京五輪を観戦した時に、買ってきた五輪グッズや学生スタッフが買い出した早稲田グッズなど、全員に景品が渡り、皆さん喜んでいましたそして、日が暮れ始め、辺りが暗くなり、また寒くもなってきたので、BBQ大会は終わりとなりました洞口先生、いろいろ気を使ってもらい、ありがとうございましたそして、という第1日でした

つづく。

【太田コラム】『何事にも諦めない心』

  • 2008/08/27(水) 13:42:15

旬なので、私が経験した五輪の話しをしたいと思います。

今から12年も前の話しで恐縮ですが、その当時私は、母校である、茨城県私立霞ヶ浦高校に保健体育の教師として、勤務しておりました。もちろん教師だけではなく、レスリング部のコーチ兼選手として、指導する傍ら現役選手として、活動いたしておりました。母校のレスリング部は、非常に強く、今年も団体戦で、全国優勝するなど、全国屈指の強豪高です。

私がコーチとして勤めていた時もインターハイ団体戦で連覇中でした。私は、大学卒業後→大学助手→教員といった経緯で、高校教諭になりました。大学助手の頃の競技実績は、全日本3位が、最高の成績で、教員になった当時も、なかなか全日本で勝てなかったため、現役選手として出る試合は、国体だけにして、一線から退いてもいいかなと考えるようになりました。しかし、そんな気持ちから、もう一度『強くなりたい』と言う、気持ちにさせてくれたのが、生徒達がひたむきに強くなろうとしている姿でした。霞ヶ浦高校のレスリング部の練習は、名実ともに日本一で、毎日の練習が合宿のようで、正に朝〜晩まで練習に明け暮れる毎日を送っていました(もちろん高校生ですから、授業もしっかりと受けて、練習は基本朝夕ですが、多い時は三回練習もありました)。

また、自分自身が、生徒の手前情けない試合や練習をしていたら、示しも付かないですし、強く言う事もできなくなるという、プレッシャーもありました。そんな気持ちになり、精神的に成長したおかげで、教員一年目で、全日本初優勝し、広島で開催されたアジア大会でも銀メダルを獲得。世界選手権でも6位に入賞するなど、かつてない成績を修める事が出来ました。しかし、実力は世界でも戦えるだけになったものの、世界の超一流選手には、心のどこかで、『接戦して負けてもいいかな』っと思っていました。その典型的な例が、アトランタ五輪一年前に開催された、ワールドカップでした。この大会は、アメリカ・ロシア・イラン・トルコ・カナダ・日本の6チームによる団体戦のリーグ戦であり、各国の選手と戦い、結果は5試合全て3点差で敗れてしまいました。帰国後この事で、非常に悩みました。『自分の実力はこれくらいで、これ以上はいくら努力しても無理なんだ』と半ば諦めかけていました。

そんな時に、高校生の茨城県の国体予選(この大会は、大学でレスリングを続けない生徒にとっては、高校生最後の試合になる大会です。優勝すれば、もちろん国体に出場できるのですが)があり、コーチという立場ですから、そこにセコンドとして、生徒のサポートをしていました。そして、58KG級の準決勝、対戦相手は全国選抜王者でありました。試合は全くの互角の戦いで、延長戦に入り、タックルを仕掛けますが、かわされて敗れてしまいました。この試合を見て、高校と世界とレベルの差は、あっても、その試合にかける意気込みや強い気持ちがあれば、過去の実績に関係なく、いい試合ができるんだと、生徒から学びました。

そして、迎えた五輪では、とにかく最後まで諦めないレスリングと過去の実績など関係なく戦う事に徹し、何とか銅メダルを獲得する事ができました。 本当に生徒からさまざまな事を学んだおかげで、メダルを獲得するまでになりました。

また、高校の恩師や、大学の恩師、全日本チームの指導者の方々には深く感謝しています。また、職場の理解がなければ、合宿や遠征にも行けなかったですし、本当にいろいろな方に感謝しています。そして最後に、両親には、深く御礼を言いたいと思います(中々面とむかって言えないので)。

こういった経験を踏まえた上で、子供達に、伝えたい事は、
ただ一つ『何事にも諦めない心』です

以上長話失礼いたしました

【太田コラム】北京レポート?

  • 2008/08/23(土) 10:48:35

五輪裏話

今回の北京五輪には、湯元両親と湯元選手の小学生〜高校まで指導していた人と総勢八人のツアーで観戦しました。

父親は絵に書いたような頑固親父(鹿児島出身)で、小学生までは、超スパルタでレスリングを指導していた事もあり、湯元選手にとっては、非常に恐い存在みたいです。

そんな親父さんですから、試合内容が悪いと『気にくわん』と仕切りに言っておりました特に準決勝では、勝てた内容だけに、『気にくわない』を連発し、揚げ句には『健一の試合見てたらストレスたまるわー』と言って、一同大笑いしました

そして仕切りに言っていたのは、試合前の『顔が悪い』と言い、お父さんは顔で勝ち負けがわかるみたいです。長年湯元選手の試合を見てるだけあります。そんな顔で準決勝前はしていたので、3位決定戦前に、顔を近くで見に行き、和歌山の指導者と声をかけに行ったところ非常に、良い目をしていたので、安心して客席に戻り、お父さんに話したら、『健一は、一日に二度ミスしたことない』と言っておりました

さすがお父さんだなと関心しながら、試合が始まり、きっちり銅メダルを獲得し、お父さんあっての湯元選手だなとつくづく感じました。



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【太田コラム】北京レポート?

  • 2008/08/22(金) 08:38:03

今日は、湯元健一選手との間柄についてお話します

今から約10年前、私は、和歌山県教育庁に勤めながら、国体選手として、競技に携わっていました。業務は主に、体育協会関係の事務仕事をやっており、9時〜16時まで勤務し、以降は自分の練習時間に充てていました。レスリングと言う競技は、ランニングや体力トレーニングが非常に大切なので、仕事行く前にも、朝練習6時〜約1時間程度やっておりました。その練習には、和歌山県教育庁に勤めるレスリング選手8名と和歌山工業高校レスリング部の生徒数名が参加し、そこに湯元選手も参加しておりました。

報道でもあったと思いますが、彼は双子の兄弟で、弟もレスリングをしていて、全日本王者です。銀メダルを獲得した松永選手に予選では、後一歩で敗れてしまいました。湯元選手の父は、紀北工業高校というところで、レスリングをしており、インターハイ選手で、近畿大会も優勝するなど、強豪選手でしたが、大学には進学せず、家庭の事情で就職することになったと聞いております。そんな父親ですから、子供ができたら、レスリングをやらせようと思っていて、小学4年生からレスリング教室に通うことになり、大会にも出場するものの、女の子に負けたりして、あまりにもふがいない戦いを見て、家の6畳部屋にマットを敷いて、家でもレスリングをすることとなりました。徐々に実力をつけていき、小学6年では、二人共、全国上位に食い込むほどの選手となりました。しかし、その頃から、弟の進一の身体に異常が見られ、挙句には血尿が出るようになり、医者に見せにいったところ、極度の疲労からくるもので、医者に「家で何か激しい運動をしていますか?」と聞かれ、父は答えようがなく、それからは、家での練習はやめて、指導者に任せるようになったとお父さんは言っておりました。

湯元選手は、教え子と言うより、一緒にレスリングをしていた仲間みたいな感じで接しており、年齢は約1回りは慣れていますが、年の離れた弟みたいな感じでした。また、東京での合宿などにも連れていったり、和歌山での一緒にした合宿や、レスリング教室などのことを昨日のように思い出します。

以上です。次回は、五輪裏話を掲載します。



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【太田コラム】北京レポート?

  • 2008/08/21(木) 10:11:20

皆さんおはようございます。
昨夜北京から帰ってまいりました
かなりハードな3日間でしたが
二人のメダル獲得シーンを見ることが出来てとても幸せな気分です
報道等で皆さん結果やメダルまでの道のり等わかっている方も多いと思いますが、私なり
にライブで見て感じたことを、観戦日記として、綴りたいと思います。

今回男子レスリングは、メダル獲得は難しいという状況でした。
というのもアテネ大会以後の三年間の世界選手権での成績は、銀一人、銅一人という状況で、また、五輪出場権を獲得したのは、14階級中(フリー・グレコあわせて7階級ずつです)6階級しか出場出来なかったという現状等を考えると、当初の予想では、メダル0という事も考えられました。そして、北京五輪が開幕し、グレコローマンスタイルの3選手が登場しました。60KG級の期待の笹本選手は二回戦敗退、84KG級松本選手、96KG級加藤選手共に一回戦敗退という、結果に終わりさらに厳しい状況となりました。しかし、次の日から女子が始まり、全階級金メダルを狙いました。48KG級伊調選手銀メダル、55KG級吉田選手・63KG級伊調選手の二連覇72KG級浜口選手の銅メダルと全員がメダル獲得をしました。
この結果の影響により、男子選手の気持ちに火を点けたことと思います。
そして、一昨日の試合です。二人共一回戦は、緊張のためか、本来の動きが出来ずに、苦戦しましたが、2ラウンド目に背中をマットに付けてフォール勝ちをおさめました二回戦では、松永選手は、固さも取れ、安定した試合運びで勝利しました。湯元選手の二回戦は、強豪のインド選手です。これに勝利すれば、五位以上が確定する大事な試合でした。この選手の特徴は、非常に身体が柔らかいのと、試合の駆け引きが上手い選手です。(例えば、ばてたふりして攻撃するなど)試合では、後半縺れた展開になりましたが、接戦の末に見事勝利しました。そして、松永選手の最大の山場の三回戦です相手は、ウズベキスタンの選手で、二回世界王者に輝き、優勝候補NO1でありました。試合は、一進一退の攻防が続きましたが、判定で勝利しました。そして、準決勝対戦相手は、昨年の世界王者ロシア選手ですしかし、先程の試合で波に乗り、フォール勝ちし、銀メダル以上を確定しました湯元選手の準決勝の相手は、ウクライナ選手で、これに勝てば、銀メダル以上確定でしたが、先程の試合の疲れが多少影響したのか、動きに精彩を欠き判定で敗れてしまいました本来の力を出せば、勝てた相手だけに非常に悔やまれる試合でした。
しかし、準決勝に日本人選手が、ほぼ同時に二つのマットで試合を開始して、五輪という大舞台で戦う姿は、観客席で見ていて、涙が出てきました日本男子レスリングは、女子に比べ認知度も低く、厳しい戦いが続いていましたし、華やかな女子の成績に比べ、肩身の狭い思いをしてきた事だと思います。それで、今回の成績では、レスリングをする者にとって勇気と誇りを持てる戦いぶりでした

話を元に戻します
そして、迎えた松永選手の決勝戦(試合進行は階級のしたから3位決定戦2試合と決勝戦、表彰式の順番でします)対戦相手は若手アメリカ選手です。試合開始早々松永選手のタックルが決まりワンポイント先取しましたが、その後タックルに入られて返し技のレッグホールド(取られた足を軸にして、両手で股の間に入れて返す技)を試みましたが、逆に体制を崩されて2ポイントを奪われた後バックを取り同点とし2分が終了しました。このピリオドを先取されました(この場合、2対2の同点でしたが松永選手の2点は1ポイント、1ポイントでトータル2ポイントに対し、相手の2ポイントは、返し技の大きな技によるのポイントにより、ビックポイントの差で負けました)そして迎えた2ピリオド目は、開始早々豪快なタックルで3ポイントを奪われ、敗退し、銀メダルとなりました金メダルを獲得すれば1988年ソウル大会以後5大会ぶりの金メダルでしたが、次回のロンドン五輪まで持ち越しとなってしまいましたしかし、準決勝のロシア選手や準々決勝のウズベキスタン選手を倒したのは、圧巻でした。
そして、次に、銅メダルをかけて湯元選手の試合です(湯元選手と私の関係に着いて後日載せます)1ピリオド目はお互い様子を見るような展開で、2分間終了、0ー0で終了した場合は、まずレフリーが袋に入った赤青のボールを取り赤がでたなら赤の選手が足を取った状態でスタートし30秒間ポイントを取りに行きます。防御側は30秒間守るか、返し技(先程説明したレッグホールド等)でポイントを奪う攻撃をします。この時は湯元選手の青が出て確実にポイントを獲得し、1ピリオド目を先取し、銅メダルに王手をかけました。そして2ピリオド目が、始まり、先程のピリオドとの戦い方と打って変わり、お互いが、激しくタックルに行くような展開が続き、一分過ぎに、湯元選手が、得意のタックルを仕掛け、バックを取り1ポイント、更に寝技では、アンクルホールド(手で相手の足首を絡めてかけて回転する技です)を仕掛け更に1ポイント追加合計2ポイントとなり、残り10数秒(この場合、相手は、2ポイント以上の大きな技を狙い逆転を狙う為、相手とは、少し離れて戦うのがセオリーです)
そして、運命のカウントダウンが始まりました
10・9・8・7・6・5・4・3・2・1・0
銅メダル獲得
←私は多分、こんな顔していたと思います

本当に見に行ってよかったとつくづく思いました。二人の活躍は計り知れない程の効果、価値があると思います。報道でもありましたが、今回の大会で、1952年のヘルシンキ大会からの連続メダル獲得を14と延ばし、足掛け半世紀以上世界で活躍している競技は、レスリングだけであり、そういった意味も含め、彼らの貢献は、日本レスリング界にとって計り知れないものでしょう私も一指導者として、誇りに思いましたし、レスリング界に入り今年で、25年になりますが、つくづくレスリングをしていて、よかったなと感じる試合内容でした。

以上長々と失礼しました。

追伸、近々湯元選手の私との関係や五輪裏話を載せます



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【太田コラム】北京レポート?

  • 2008/08/20(水) 11:57:14

昨夜湯元選手と夜中一時に合流しました。
湯元選手との間柄について詳しく後でお話します。

湯元選手と



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【太田コラム】北京レポート?

  • 2008/08/19(火) 23:40:47

天安門広場です。

天安門広場です。



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【太田コラム】北京レポート?

  • 2008/08/19(火) 22:04:47

今湯元選手のご両親と中華料理屋で、祝勝会中です。

60キロ級の銅メダリストの湯元選手のご両親と



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【太田コラム】北京レポート?

  • 2008/08/19(火) 20:09:21

60キロ級の銅メダリストの湯元健一選手です

60キロ級の銅メダリストの湯元健一選手です



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【太田コラム】北京レポート?

  • 2008/08/19(火) 18:00:13

銅メダリストの浜口京子選手と

浜口京子選手と



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【太田コラム】北京レポート?

  • 2008/08/19(火) 15:33:09

こんにちは。
今北京五輪レスリング会場です
日本選手ですが、55kg松永選手決勝進出
銀メダル以上確定
60kg湯元選手3位決定戦
日本時間で5時ぐらいから放送されます

レスリング会場



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【太田コラム】私の名前の由来と幼少時代の思い出1

  • 2008/07/25(金) 22:25:31

私の名前の由来と幼少時代のエピソードについて、少しお話しをしたいと思います。

私は、和歌山県新宮市という海・山・川に面した田舎町で生まれ、15才まで過ごしました(高校はレスリングをするため茨城県に越境入学しました)。
男三人兄弟の末っ子として生まれ、長男は三歳上、次男は二歳上、そして、私です(現在38歳になります)。
ほとんど、年子みたいな感じの年齢差でしたので、兄貴達にはかなり鍛えられました(特に次男、次男は地元高校出身で、レスリング部に所属し、全国三位の実績をもっています)。

さて、私の名前の(拓弥・たくや)由来ですが、お袋が、三番目は、かなり女の子を期待してたみたいで、三番目は絶対女の子が欲しいと思っていたみたいです(当時は、まだ医療が発達していなかったので、産まれるまでは、男か女かわからなかったみたいです)。
しかし、蓋を開けたら、男の子でがっかりし、
男の子はもう
たくさんやたくさんやたくや
って事で太田家三男坊『拓弥・たくや』としてめでたく誕生いたしました

幼少の頃はとにかくやんちゃで、典型的な三男坊って感じでした。
とにかく朝〜暗くなるまでよく遊んでいました。特に虫を捕まえる事が、大好きで、家には、常に虫(せみ、蛙、かまきり、カブトムシ、クワガタ、亀、ザリガニ等)を飼っていました。
そんなあるとき、おばあちゃんが、畑仕事をした帰りに、『たくやお土産やー』っと肥料袋にバッタをもって帰ってくれた事があり、非常に嬉しかった事を思いだします。
そんな幼少時代でした。
                                      
次回へ続く…